存在消滅 死の恐怖をめぐる哲学エッセイを読んだ感想

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はじめに

僕が小屋小屋暮らしを始めるきっかけになった人物、高村友也さんの著書、存在消滅を読んだのでその感想を書きます。

まず初めにこの本の著者である高村友也さんは毎年寝太郎(以下寝太郎さんと呼ぶ)という名前で小屋暮らしの様子をブログで発信していた過去があります。10年前にそのブログに感化されて僕も小屋暮らしを始めました。

寝太郎さんのブログは初期の頃は小屋暮らしの様子について淡々と綴っていたのですが、途中から死についての文章が多くなり小屋生活についての記事は減っていきました。そしてブログの更新は止まってしまい、たまにツイッターで東京のアパートで暮らしているとか、ウーパーイーツをやっているというような生存報告のような呟きをする程度になってしまった記憶があります。

今回読んだ存在消滅はなぜ小屋を去ったのか、なぜ死について考えてしまうのか、なぜ東京で暮らしているのかということが書かれていました。昔から寝太郎さんのブログを見てきた者としてはどういう経緯でそうなってしまったのかとても興味深かったです。

感想

過去に寝太郎さんはブログ内で死について色々綴っていたことがあったと思います。脳内に沸き起こる思考を整理せずにそのまま書きなぐっているような文章で全く意味がわかりませんでした。

今回読んだ存在消滅はそんな脳内に湧き出てくる思考を他者にも伝わりやすいように整理して書かれていて、なんとなくですが寝太郎さんの悩みの原因、苦悩などがわかったような気がします。

寝太郎さんは死が怖いそうです。正確には死んだ後に無が待っていてその無が永遠に続くということがとても恐怖なんだそうです。

怖いなら永遠の無について考えず日々を楽しく生きていればいいと思いますが、それは一時しのぎにしかならないと寝太郎さんは言っています。永遠の無の恐怖を根本的に解決しない限り寝太郎さんの苦しみは消えないということです。

寝太郎さんが小屋暮らしを始めたのは小屋で一人思考にふけりたいからという動機だったと思うのですが、元をたどると死後の永遠の無について考える為の小屋暮らしだったということです。

僕の考えだと永遠という概念は存在しないと思っています。永遠とは状態が変化しない事がずっと続くことです。何かを認知するということは変化を認知するということです。死後に永遠の無を認知しているということはそれは永遠の無ではないということになります。ちなみにこの考えは僕が発見したわけではなくて仏教僧のスマナサーラ長老の本で読んだ受け売りですけどね。

寝太郎さんも一時期は原始仏教を試していた時期があってヴィパッサナー瞑想の合宿に参加したりタイの寺に瞑想修行に出向いたりしていました。ただ肝心の死後の世界については仏教は考えても無駄というスタンスなので問題解決にはならなかったそうです。

仏教の解脱(苦からの開放)の道筋は瞑想してなるべく妄想を入れずにありのままに観察することで心理を発見するという事なので、死後の世界という思考は瞑想を邪魔する妄想でしかないということになります。なので死後の事は無記となっていると思うのですが寝太郎さんは思慮深いのでもそれを承知の上で仏教に見切りをつけたのだと思います。

寝太郎さんの中では死後の世界は永遠の無が待っているというのは確定しているようで、それを軸にして色々なことを思考しているみたいです。できれば永遠の無という確定要素が揺らいでくれれば活路が開けるのだが今現在まだ強固に存在し続けているとのことです。

今まで寝太郎さんが発信してきた小屋暮らしは永遠の無に怯える寝太郎さんから発生した副産物に過ぎなかったのかと思いました。10年前に鬱になっていた僕は、寝太郎さんのブログを見てとてもエネルギーを感じました。見ているだけでは飽き足らず実際に小屋暮らしのエネルギーを教授したいと思って僕自身も小屋暮らしを始めました。生きる活力を得た僕は日中は夢中で小屋を建てたりロケットストーブをいじったりして夜は寝袋に入りながら寝太郎さんのブログをチェックする日々が続きました。生きている実感を感じで本当に幸せだったのを覚えています。

ある日寝太郎さんが小屋暮らしを辞めて東京のアパートに住んでいるという情報が目に入ってきました。当時はなぜだろうと疑問に思っていたのですが今回存在消滅を読んで納得しました。永遠の死に対処する為の思考の場所であった小屋がその機能を失ったしまったからです。小屋暮らし初期の頃は思考しては日常に戻るということを繰り返していたけど、ある日突然思考から抜け出せなくなってしまったそうです。日常に戻ろうと思ってあたりを見渡しても自分の思考を具現化して作った小屋しか目に入らずに抜け出すきっかけがないことに気がついたそうです。

思考から抜け出すためには自分以外の他人を感じられる物がないといけないことに気がついたそうで、東京のアパートへ引っ越したそうです。永遠の無の対策として建てた小屋が機能しなくなってしまったのです。

僕は寝太郎さんの小屋暮らしに特別なものを感じていたのですが、単純に考えたら寝太郎さんの悩みをなんとかするためののツールだったんだなと今は思います。

存在消滅の中にホリエモンも寝太郎さんと同じ悩みを持っていると書かれていました。死ぬのが怖いという悩みです。ホリエモンは色々な事業をやっているイメージがありますがそれは死の恐怖を忘れるために忙しく動いているそうです。

ある日飲み会で頭の悪そうな女から「堀江さんはお金好きですよね」と言われてホリエモンが激怒したエピソードを思い出しました。お金に好き嫌いの感情はなくてただのツールとしてしか見ていないとホリエモンは主張していましたが、死の恐怖を忘れるためにいろんな事業を展開する。お金はそのためのツールということなんだなと納得しました。

寝太郎さんがアパート暮らしをした時に小屋暮らしが飽きただとか、不便に耐えられなくなったとか色々な憶測が飛び交ったけどどれも間違っていて、小屋がツールとして機能しなくなってしまったから東京のアパートで暮らさざる負えなくなったというのが僕の考えです。

まあ今回存在消滅を読んで今まで謎だった寝太郎さんの小屋暮らしをやめた理由やその内面がわかってなんかスッキリしました。なにがスッキリしたかというと憶測で色んなことを言う奴がいてそれに対してモヤモヤしていました。なんで本人の事情も知らないのにこうも自分の妄想をあたかも真実のように語るのだろうか・・・・そしてその妄想に群がる餓鬼たち・・・・よくあるインターネットの光景だけど僕自身小屋暮らしをやっている身としては他人事のように思えませんでした。

最後に

最近ブログの意欲を書く意欲がなくなってしまい長らく更新していない状態でしたが、今回存在消滅を読んで久しぶりにキーボードを叩いてみようという気になりました。自分のアイデンティティである小屋暮らしを教えてくれた寝太郎さんには今でも感謝しています。こんなことを言うのはおこがましいと思いますが寝太郎さんの問題が解決することを九十九里の小屋から願っております。

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